JOB TALK VOL_1

建物のはじまりから
終わりまで携わる。
左官業界の可能性。

美しい壁や床を仕上げる上で大きな役割を担う左官の仕事。
明治創業からあらゆる建物を手がけてきた株式会社夏見は、
2023年8月にタッセイグループの一員となる大きな転機を迎えました。
夏見が目指す左官業界と会社の未来について、株式会社タッセイの田中社長とともに語ります。

夏見 久志

株式会社夏見社長。
5代目として県内のビルや公共施設などの左官工事に携わる。
2023年8月にはタッセイホールディングスのグループ企業となり、
タッセイの田中社長とともに左官業界の未来に向けた改革を進めている。

田中 陽介

株式会社タッセイ代表取締役社長。
福井県・石川県に拠点を置き、建材販売と建築物の内外装工事を通じて、
「建てる」を応援している。自社職人チーム「TAT」を発足し、
新卒未経験から建築業界に入っている若手職人の育成にも力を入れている。

明治創業。
県内のあらゆる建物の
左官を手がける。

田中株式会社夏見は富山県内でも明治創業と歴史のある会社ですよね。夏見社長は何代目になるのでしょう?

夏見私は5代目になります。3代目の祖父の時代までは土蔵などを手がけていましたが、戦後近代建築の普及とともに地元ゼネコンの案件で工場やビルなども手がけるようになりました。

田中夏見社長は小さい頃から会社を継ごうと思われていたのですか?

夏見そうですね。愛知の大学で建築を学び、卒業後は夏見に入りました。最初の7年間は私も左官職人として現場に入っていたんですよ。職人には仲間意識があってね、一緒にコテを持って作業することで、「こいつはちょっと左官のことがわかってるな」と話を聞いてくれるんです。私は手先が不器用で技術もなかったけど、職人のいいところや難しいところは、自分でやってみたことでわかりました。

田中一緒に汗水流してわかることって多いですよね。私は大学を卒業した頃は会社を継ぐつもりはなく、建築とはまったく関係のない業界で活動をしていましたが、その後タッセイに入り、39歳の時に父から代替わりをして社長になりました。夏見社長も40歳の時に社長になられたそうですね。

夏見はい。それまで専務として会社の運営をしていましたが、父の病気がきっかけで社長になりました。もともと社長になるつもりでこの会社に入っていたので、タイミング次第だったとは思います。社長になってすぐに行ったのは財務改革。これまでの慣習で続けてきた支払い方法などを見直し、会社のお金の流れがすべて見えるようにしました。

顕在化した
左官業界の課題。

先代はなぜ靴店から防水の会社を立ち上げたのですか?

夏見おかげさまで業績も好調でここまで続けてきましたが、近年大きな問題が出てきたんです。

田中大きな問題とは?

夏見左官職人がいないということです。私が入った頃は左官の会社は500社ほどありましたが、今では120社程度。それも雇用はせずに一人親方でやってる会社が90%ぐらいを占めます。当社でも多い時は20名くらいの職人を抱えていましたが、職人が減っていったのはクロス仕上げや石膏ボードといった新しい建材が出てきたことで仕事が少なくなったことも原因の一つです。そんな流れにもかかわらず、業界全体で人材確保や後継者づくりを積極的にやってこなかったんですね。私も富山県の左官組合で組合長を12年ほどやっていますが、同業者の親方連中はみんな後継者がいなくて廃業を考えているという状況で、実は私自身も会社を続けていく意欲がなくなりかけていた時期があったんです。

田中建築業界における職人の仕事は30業種ほどありますが、内装工事を専門にやっている私たちにとって、左官職人は別格です。左官の仕事というと壁の仕上げを想像する人が多いかもしれませんが、実は建築工事のあらゆる下地も左官職人が関わっています。だからこそ建築業界全体で考えると、左官職人がいなくなってしまうのはとてもまずい。株式会社夏見の存続、ならびに左官業界の未来に少しでもお役に立てるのならと、今回タッセイグループに入っていただく話が生まれました。

タッセイホールディングスの
一員へ。

田中株式会社夏見は2023年8月にタッセイホールディングスのグループ企業になっていただきましたが、最初にお会いしてからここまで早かったですね。

夏見そうですね。たしか、最初にお会いしたのは2022年の年末。タッセイは職人の人材確保や育成の分野で成功した会社と聞いていたので大変魅力的に感じていました。

田中それはこちらも同じです。「こんな優良企業は珍しい」と仲立ちしてくれた銀行が太鼓判を押すほどでした。

夏見後継者がいなければ廃業も仕方がない。しかし従業員や得意先に迷惑をかけるわけにもいかない。今回、タッセイホールディングスに入ることで職人育成にも力を入れられるし業界全体の機運を高められるので、かなり勇気づけられました。田中社長の熱意にも心を打たれましたね。

田中グループ企業になっていただくにあたり、私も夏見社長と一緒に富山県内の建設会社にご挨拶に伺ったのですが、「事業を継続する」とお伝えすると、みなさんすごく嬉しそうなんですよね。どの建設会社の社長さんも「よかった、よかった」と言う姿を見て、夏見さんは本当に愛されている会社なんだなと感じました。

夏見今後、この会社をどのようにしていくか。毎月田中社長とお会いするたびに私のモチベーションが上がっていくんですよ。この年になってまた新たなことに向かって学べるのが本当に嬉しくて、日々刺激を受けています。

左官工は何歳になっても
続けられる仕事。

夏見田中社長と会社の今後について考えていくなかで、地元の左官会社が弊社と合併してくれることになり、それが実現すると在籍する左官職人の数が県内でトップクラスになります。私に続く後継者も目処がたち、あとはこれから入職してくる若手の育成に力を入れていかなければと思っています。

田中そうですね。毎年新卒の入職者を2名ずつは入れていきたいところですね。

夏見私は中途採用にも期待しています。30代や40代で入ってきた人たちは家族を養わないといけないという思いもあるから必死なんですよね。若い人たちとはまた違った覚悟や心構えがある。だから左官屋でもやろうかっていうんじゃなくて、「俺ここしかないな」と思えるような人が入ってきてくれたらとても嬉しい。

田中これから左官職人になろうかなという人がいたら、何と伝えますか?

夏見私は仕事をする以上、まずは一人前になって家族を養えるような人間になってほしいと思っているんです。そして、そうなるために左官職人ってのは決して悪い商売じゃないと思うんですよね。手に職をつければ70代になっても働くことができるし、実力があれば起業だってできる。まずは1年頑張って、そこから3年、5年もすれば全体が見えていろんなことがわかるようになる。10年も経てば、一人前の職人として活躍できるでしょう。うちの会社に入ったなら、一人前になるまでしっかり投資して育てたいと思っています。

田中これまで夏見社長は数多くの職人を見てきたと思いますが、職人として大事なことは何なのでしょうか。

夏見いつも職人たちに伝えているのは「評価は自分がするんじゃない」ということ。ひとりよがりではなく、お客様をどう満足させるかが職人として最も大事ではないでしょうか。お客様が丸くしたいと言っているのに対してまっすぐなものを作るのは芸術家がすること。100%実現できなくてもお客様の要望に70%でも80%でも近づける姿勢こそが大切です。しかし提案は必要です。職人の経験から最良のものを提案して、それでもお客様がこうしたいと言えば、その通りにするのが職人だと私は思っています。

田中夏見社長の姿勢は若い職人にこそ学んでもらいたいですね。これから入る職人のみなさんにも夏見イズムを継承してもらえたらと思います。最後に、これから挑戦されたいことなどありますか?

夏見今後、安定的に職人を育てていけるようになれば、県内のゼネコンの仕事をかなりの割合で当社で手がけることができるようになるかと思います。左官は建築の始まりから終わりまで携わる仕事。左官がいなければ建築は始まらないし、終わりもしないと言われるほど、すべての工程で求められる非常にやりがいのある仕事です。県内の建築現場はもちろん、将来的にはこれから育っていく若手たちとともに県外の仕事にも携わっていきたいですね。

田中夏見社長の挑戦、私たちも全力で応援します! ともに富山、ひいては日本の左官業界を盛り上げていきましょう!

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